都於郡城は現在の宮崎県西都市にあったとされる山城の事です。築城は1337年(建武4年)伊東祐持によります。またの別名を浮船城と呼んでいます。
城は高さ100mの丘陵に築かれた本城、周囲に支城(日隠城、東城、泉城、高城、向城)があり、その間を堀や池を巡らすという中世式城郭の典型的な様式でした。
なお本城から峰続きに1.3キロ東方に日隠城があり、大規模な城域を誇る威容は、西国でも有数のものです。
本城は本丸、二ノ丸、三ノ丸、奥ノ城、西ノ城といった五つの曲輪から成り立っています。1577年に伊東氏が島津氏により一時没落すると島津氏の支配下に入りました。1615年(元和元年)江戸幕府の一国一城令により、都於郡城は廃城となりました。