淀殿の墓
大阪夏の陣で大坂城落城により秀頼とともに自刃した淀殿の遺骨を祀ったお墓
鯉塚
1668年に淀川で獲れた大鯉が見せ物にされて死んでしまった。その後、大長寺の住職の枕元に「私は大坂夏の陣で討死した豊臣軍の武士だ」という者が現れ、その鯉に『瀧登鯉山居士』という法名をつけて弔った。
木村長門守重成表忠碑
大坂冬の陣で、数で勝る徳川軍と対等に戦い全国にその名を広めた武将木村重成の忠節を称える碑。
備前島
大坂冬の陣で徳川軍が大砲を設置して大坂城に向けて打ち込んだ場所
若宮八幡宮
大坂冬の陣の最大の野戦・今福の戦いで佐竹義宣が陣を敷いた場所
本町橋
大坂の陣で本町橋の夜襲戦の舞台となった場所
御勝山
江戸時代初期までは「岡山」と呼ばれていたが、大坂の冬の陣で徳川秀忠の陣所となり、夏の陣で豊臣氏に勝利した際に戦勝の宴を開いたことから「御勝山」(おかちやま)と呼ばれるようになった。
真田幸村戦死跡之碑
天王寺・岡山での戦いの後、幸村がここで休んでいたところを西尾宗次に討たれて戦死した。
本多忠朝の墓
骨仏の寺として知られ、数多くの歴史的有名人のお墓がある。天王寺公園に隣接し、駅からも近くアクセスも便利。
茶臼山
大阪冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、大阪夏の陣では真田幸村の本陣となって「茶臼山の戦い」の舞台となった
樋ノ尻口地蔵
1615年5月7日、真田幸村が地雷を仕掛けて徳川家康を殺害しようとして失敗した場所
真田幸村休憩所跡
大坂夏の陣、真田幸村が休憩した場所として残る石碑
大坂夏の陣供養塔
大坂夏の陣における両軍の戦死者を弔うために建てられた供養塔