慶長19年(1614)の大坂冬の陣、徳川家康は天王寺の茶臼山に本陣を置き、20万の大軍で大坂城を包囲した。
豊臣方の武将・真田幸村は大坂城の南方に弱点ありと見て、そこを空堀で囲み三重に柵を巡らした堅固な「真田丸」という出城を築き、ここで徳川勢を一身に引きつけ撃退した。
そのとき、真田幸村が築いたと伝えられる、城下に通じる地下の道が「真田の抜け穴」で、三光神社境内にその跡が残っている。
大阪市内には「真田の抜け穴」と呼ばれるものが10ヶ所以上存在しており、ここに遺るものもそのひとつ。
現在、入口は鉄の扉で閉じられ、中の様子を伺うことはできない。
宮司によると、内部は7mほどで行き止まりになっているという。
抜け穴の横には、幸村の銅像が勇ましく立っている。
これは1987年に建立されたもので、台座には信州上田の真田家の菩提寺から取り出した真田石を用いているという。