歴史
戦国時代の武将である真田幸村は、大坂夏の陣の際に南河内誉田方面で徳川方の伊達正宗軍と戦闘を行った後、古市街道を経て大坂城へ帰城する途中、この地にて休憩しました。そこで、真田幸村は志紀長吉神社に戦勝を祈願すると共に、軍刀を一振りと六文銭の軍旗を奉納しました。現在、この場所には自然石が建てられ、その裏側には幸村の句が刻まれています。この地は、慶長20年(1615年)5月6日に大坂夏の陣の道明寺の戦いにおいて、真田信繁(幸村)隊が徳川方の伊達政宗隊と激戦を交えた後、休息した場所として伝えられています。
見どころ
大阪市平野区にある真田幸村休息所跡は、真田丸から南南東へ約10km下った場所にあります。この場所には、真田隊の六文銭が刻まれた石碑があります。石碑は住宅地の路地にあるため、見つけにくい場所にありますが、幸村の休息した場所という歴史的な意味があります。門扉には真田隊の六文銭が刻まれており、これは三途の川の渡し賃であるため、真田隊が常に死を決しているという意味があるとされています。