歴史
岸和田城は、楠木正成の一族である和田高家が、元弘4年(1334年)に野田町に築いたと伝えられている。しかし、城としての本格的な構築はなされておらず、城廓と呼べるものはなかった。その後、15世紀後半に現在の岸和田城跡から約500m南東に岸和田古城という山城が築城され、16世紀初頭には放棄された。その後、信濃泰義によって現在地に移築され、羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城された。天守閣は、秀吉の叔父である小出秀政によって、本丸を五層の天守に大改修された。以降、小出氏3代、松平康重・康映、岡部氏13代が岸和田城主をつとめた。文政10年(1827年)には天守閣が焼失し、維新期には城郭施設を自ら破壊したため、現在の天守閣以外に近世以前の構造物は残っていない。
見どころ
岸和田城は、ちぎりに似た形状を持つ本丸と二の丸を連ねた城で、城内には縁結びの神社として知られる岸城神社や八陣の庭と呼ばれる庭園がある。現在の天守閣は、昭和29年に建造された3層3階の模擬天守で、内部には資料展示室と望楼が設置されている。桜の季節には花見の名所としても知られており、大阪みどりの百選に選定されている。また、2017年には続日本100名城に選定された。