飯盛山の山中にある『白虎隊士の墓』は、明治元年(1868)
8月23日。戊辰戦争において飯盛山で自刃した十九士の墓です。
戊辰戦争時、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番
隊20人が戦場から退却し飯盛山に辿り着き、鶴ヶ城の天守閣
方面を見たときに黒煙の中に包まれる城を見て『城は陥落し
たか、今は主君のために殉じよう』と、全員が自決したと伝
えられています。その20人のうち1人『飯沼貞吉』が生き残
り白虎隊の悲運の物語は広く人々に知られるようになったそ
うです。
戊辰戦争後遺骸に手をつける事を新政府が許さなかったので
すが、3ヶ月後に近く住む『吉田伊惣治』他村人によって妙
国寺に仮埋葬。明治2年に改葬。明治二十三年に二度にわた
り墓域が拡張され現在の墓になりました。
春と秋に年2回行われる《慰霊祭》では、白虎隊を偲びその
霊を慰める剣舞を市内高校生によって奉納されます。