「天孫天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)」の妃「木花開耶姫命(このはなさくやひめ)」を奉祀し、古代に地域の守護神として創建されたと伝えられています。
御冷泉天皇永承七年(西暦1052年)、時の関白藤原頼道の平等院建立にあたり、県神社の位置が、平等院の鬼門にあたることから、同院総鎮守となり藤原氏の繁栄を祈誓しました。
明治維新までは大津市の三井寺円満院管理下にありましたが、維新の後の神仏分離令によりその管理を離れ今日に至ります。
境内に入って左手にある県井戸は、
「都人 きてもをらなむ 蛙なく あがたのゐどの 山吹の花」(後撰集)など、
古くから歌枕として和歌の中に登場しています。