紙屋関所は、去川関所と並び、肥後街道筋に野尻・西諸筋を防護するために設置された薩摩藩の9関所の一つです。関外からの出入りを厳しく取り締まっていました。当時の井戸、建碑の辞、関所の歌碑もあります。ここは宮崎方面の天領に備えたもので、今でも1830(天宝元)年の古文書が残っています。
もともと天ヶ谷に設置されていましたが、関ケ原合戦後、江戸時代初期において、関外からの出入りを厳しく取り締まるため、現在地に移設されたといわれています。紙屋関所は、薩摩藩の関所の一つであるこの関所も大変厳しく、犬一匹が通るのにも関所手形が必要といわれていました。もともと天ヶ谷に設置されていましたが、関ケ原合戦後、江戸時代初期に現在地に移設されたといわれています。