みなべの梅は、江戸時代、紀州田辺藩が耕地に恵まれない農民のために免祖としてやせ地等を利用した梅栽培を奨励したのが始まりです。
明治中期、みなべ町晩稲の先覚者「内中源蔵」が、荒山約4ヘクタールを開墾して梅に一生を捧げました。
明治34年頃には、初めて加工工場が出来以後、悪疫(薬用)、日の丸弁当で需要が高まり、これを基礎に紀州梅の日本一の生産地となりました。
「道の駅 みなべうめ振興館」は、その日本一の梅の町を、全国に情報発信する拠点施設となっています。
南高梅を使った梅干しや、梅製品が多数揃っており、梅ソフトクリームもあります。
国内最大規模を誇る南部梅林や、岩代大梅林も近くにあります。