ハイセイコーの墓は新冠の町から北東方面に行ったところにあるビッグレッドファーム明和の敷地の片隅にハイセイコーの墓があります。
1970年にここ新冠町で生まれたハイセイコーは生まれた時から馬体がよく、将来を期待された馬でした。3歳で地方競馬である大井競馬場に入厩するとその年、破竹の6連勝を果たし、しかもいずれのレースも2位以下に大差をつけての勝利となりました。そいsて4歳になるとハイセイコーは中央競馬に移籍。移籍後のハイセイコーは弥生賞、スプリングステークス、皐月賞、NHK杯と4連勝を続け、この頃にはハイセイコーは社会現象となるほどの大ブームとなり、競馬に興味のない人もハイセイコーを見に競馬場へ行くようになりました。
しかし残念な事にその後のハイセイコーの成績はふるわず、その年、日本ダービー、菊花賞、有馬記念と負け続けます。そして翌年、中山記念、宝塚記念、高松宮杯に勝利するも、クラシックレースの天皇賞や有馬記念では勝てず、その年の有馬記念をもって引退となりました。
しかし「地方競馬出身馬が中央競馬に乗り込み、エリートを打ち負かす」というハイセイコーの姿は「地方から這い上がった野武士が貴公子に挑む」という日本人の判官びいきにマッチし、実力以上の人気が出たと言われる。引退後のハイセイコーは明和牧場で余生を過ごし、2000年に30歳で息絶えるまで種牡馬となり、多くの名馬を算出。
このビッグレッドファーム明和では敷地内にある「人々に感銘を与えた名馬ここに眠る」と書かれたハイセイコーの墓を一般に開放し、いつでも参拝できるようになっています。