歴史
味原牧(あじふのまき)は、古代律令制時代以来、典薬寮(てんやくりょう:朝廷で医薬を取り扱っていた官省)に所属していた牛牧で、摂津市の味原(あじふ)の地から淀川が分流する江口の下流部(現在の南江口・大桐・大道南あたり)に分布していたとされています。住民は牛を飼育して、乳製品の製造や毎年典薬寮の乳牛院に母牛と子牛を送る義務があったため、田畑を開拓し、牧は荘園化していきました。室町時代には摂津守護の支配下に入り、崇禅寺に寄進され、寺領となりました。大正15年に改称する以前の大隅東・西小学校は、乳牛牧尋常小学校として知られており、乳牛牧跡の碑が大桐5丁目に残っています。
見どころ
味原牧で生産された蘇は、「醍醐(だいご)」と呼ばれ、濃厚な味わいとほのかな甘味を持った液汁でした。今も奈良の明日香で食べることができます。また、コロナ禍によって余った牛乳を使った「蘇」レシピが話題になっています。さらに、初めて牛乳を愛飲されたとされる天皇は孝徳天皇であり、延喜式には善和使王が味原牧から調達した牛乳を献じたことが記されています。柴島には、古代から高地であったために柴島水源地が建設され、現在もその地は水道事業の中心地として重要な役割を果たしています。