元禄赤穂事件。その主人公、大石内蔵助良雄の妻、理玖(りく)は現在の兵庫県豊岡市出身です。
家老・石束宇右衛門と快楽院の長女として生まれました。
理玖が大石家へ嫁いだのは元禄元年の前年頃でした。その約15年後、赤穂浅野家の内匠頭長矩が江戸城で吉良に切りつけ、即日切腹に処断されるという事件が起きます。
良雄が城を明け渡して以降、理玖は京都山科に移り住んでいました。
しかし、元禄15年に理玖は身重の体で長女と共に豊岡に帰ります。そして、良雄は討ち入りで罪が妻子に及ばぬよう、その年に理玖と離縁しました。
後世にのこる、吉良邸討ち入りは成功。
夫と長男が切腹した後、理玖は正福寺で香林院と名乗り、冥福を祈る生活を続けました。