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鯉塚
1668年に淀川で獲れた大鯉が見せ物にされて死んでしまった。その後、大長寺の住職の枕元に「私は大坂夏の陣で討死した豊臣軍の武士だ」という者が現れ、その鯉に『瀧登鯉山居士』という法名をつけて弔った。
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御勝山
江戸時代初期までは「岡山」と呼ばれていたが、大坂の冬の陣で徳川秀忠の陣所となり、夏の陣で豊臣氏に勝利した際に戦勝の宴を開いたことから「御勝山」(おかちやま)と呼ばれるようになった。