歴史
海路が利用されました。七里の渡しの名前は、その距離が七里(約27.5km)であったことに由来します。この海路は、東海道の宿駅制度が設けられる以前から使用されており、古代から東西を結ぶ交通路として重要でした。壬申の乱の際には、大海人皇子(後の天武天皇)の一族が吉野から逃れ、桑名を経由して尾張に渡ったとされる歴史的な経路とも結びついています。
見どころ
七里の渡しには、宮宿の渡船場があり、古代からの船の出入りと旅行者の往来が盛んでした。この場所には、航海の安全を見守るために設置された常夜灯が今も残っています。1791年に火災で破壊された後、1955年に再建され、宮の渡し公園として整備されました。常夜灯の再建は地元の有志によるもので、歴史的な遺産を訪れる人々に伝えています。