通天閣の「ビリケン」は、5階の展望台の立派な台座にちょこんと座っています。
笑っているのか怒っているのか。不思議な表情と、愛敬あるポーズが人気で、いつもお願いする人が絶えません。
ビリケン(BILLIKEN)は、1908年(明治41年)アメリカの女流美術家フローレンス・プリッツという女性アーティストが、夢で見たユニークな神様をモデルに制作したものと伝えられています。
トンガリ頭につりあがった目という、どこかしらユーモラスな姿は、たちまち「幸福のマスコット」「福の神」としてアメリカを始め世界中に大流行しました。
日本でも花柳界などで縁起物として愛されていました。
世界的な流行を受けて、1912年(明治45年)オープンした「新世界」の遊園地「ルナパーク(月の園)」では、さっそく「ビリケン堂」を造りビリケンを安置。
これは大当たりし、新世界名物としてその名をとどろかせ、ビリケン饅頭やビリケン人形などのみやげ物まで作られました。
また「福の神・ビリケン」を七福神に加え、「八福神めぐり」なども流行したと伝えられています。
しかしビリケンは、ルナパークの閉鎖と共に行方不明になってしまいました。
オイルショックが去り、通天閣の灯が復活して新世界に活気がよみがえった1979年〈昭和54年〉、浪速文化の拠点をめざした「通天閣ふれあい広場(現・3階イベントホール)」ができました。
その後、1980年(昭和55年3月30日)に新世界に馴染みの深い「ビリケン」の復活も決まりました。
しかし、資料になるべき写真が見つからず。
思案にくれている時、田村駒株式会社が版権を持っていることが判明。
田村駒さんのご好意で、同社の「ビリケン」をもとに木彫で復元したのです。
像の彫刻は伊丹市在住の安藤新平さん。
1908年、シカゴに住むE・I・ホースマンという無名の若い彫刻家が、美術展に出す作品づくりに悩んでいた…そんなある晩、彼女は奇妙な夢を見る…夢の中に奇妙な姿の像が現われ、「私を喜ばせるためには、私の足の裏を一日一回掻けばよい!そうすれば、私は満足して世界の民に幸福を授けるであろう…」と告げたという。
不思議な感覚に包まれた彼女は夢に見た像を彫刻して、出品すると、どうだろう!ビックリするくらいの人気を集めたそうで…。
それに目をつけた商人がコピー商品の販売権を買い取り、ラッキーゴッドとして売り出すと、これが評判に評判を呼んで売りに売れたそうなのさ…。