亀山城は、亀岡城とも呼ばれます。明智光秀が1577年ごろに築城した亀山城は、丹波統治の拠点として築城され、1610年・岡部長盛の時代に城郭・城下町がほぼ完備されました。明治維新のあと廃城令により解体され、大正時代に新宗教「大本」が購入、神殿を築いたが大本事件で日本政府により爆破・破却されました。現在の所有者である宗教法人大本の手により石垣などが修復され、往時を偲ぶことができます。
天正年間当時は五層の天守閣と二重の濠を配していましたが、現在は扇形の石垣と天守台、内濠の一部が残るのみとなっています。1992年12月8日、宗教的理由により旧神殿部分が立ち入り禁止となり、また新御殿門(長屋門)は亀岡市立千代川小学校に移築されています。
小説家の司馬遼太郎は明智光秀と出口王仁三郎という2人の謀叛人を出したと評しています。