先斗町は三条通の一筋南から四条通まで通じる鴨川西岸にそった南北500メートルあまりにわたる細長い通りのことを指し、京都における著名な花街の一つです。歌舞練場があり、多くの料亭・茶屋が並んでいます。河原に張出した料理屋の「川床」は夏の風物詩の1つです。
この地に水茶屋が初めてもうけられたのは正徳二年(1712)の頃といわれ、初めは高瀬川を上り下りする高瀬舟の船頭や旅客目当ての旅籠屋が茶立女を置いていました。
安政6年(1859年)になって芸者嫁業の公許が下り、祇園と並ぶ花街として有名になりました。べにがら格子の家が両側に建ちならんでおり、東西に五十番まで数える大小の路地があります。幕末に勤皇と佐幕に分かれて抗争した志士たちが、追われてこの露地に身を潜めたり待ち伏せしたりしたそうです。芸妓、娼妓が居住するようになり、何度も取り締りを受けましたが、川端二条にあった「二条新地」の出稼ぎ地として認められ、明治初期に独立しました。
先斗町の語源については、東が鴨川(皮)、西が高瀬川(皮)、皮と皮にはさまれた鼓を叩くとポンと音がするのをモジって、ポント町の名が生まれたとも、ポルトガル語のPONTからきているとも言われています。