松前藩戸切地陣屋跡は北斗の町から北西に行った大野平野の西の外れに松前藩戸切地陣屋跡があります。箱館開港に伴う外国船渡来による不測の変に備えて幕府は松前藩に七重浜から木古内までの守備を命じ、1855年にこの戸切地陣屋が構築されました。
陣地は蘭学の築城書による四稜堡で広さは4.3ヘクタール。東南部の稜堡に6門の砲座を配置しました。郭内には17棟の建物があり約120人で守備していましたが1868年の箱館戦争時、榎本武揚率いる旧幕府残党に追われて相手方に陣屋が使われないよう建物に火をつけ焼払って敗走しました。
この陣屋は焼失していますが保存状態が極めてよく、幕末における北辺の国際情勢や西欧風の影響を知る資料として築城史上価値ある史跡です。表御門跡と裏御門跡には大手門と搦手門が復元され、門から入ると広い郭内には大砲入跡、筒入跡、蔵跡、備頭・目付詰所跡、足軽長屋跡、武器庫跡などがあり、石で基礎を再現して跡地を表示しています。
1904年に日露戦争を記念して陣屋跡までの800mの一本道に585本の桜の木が植えられました。