水稲発祥之碑は遠別の稲作の礎を築いた南山仁太郎氏の功績を讃えて建てられました。道北の地において1897年から稲作への試みが始まりました。当初は福井から取り寄せた種子で稲作を試みましたが難しいのが現状でした。耐寒性のある上川産の種子を用いて遠別川から水を引いて田を作り1901年に南山仁太郎氏によってようやくこの地で稲作が可能となりました。
1921年には灌漑工事が進み水耕栽培が本格的に行われるようになりその後、遠別町稲作経営研究会は創立20周年を記念し、遠別の稲作の礎を築いた南山仁太郎氏の功績を讃えて遠別町に水稲発祥之碑を作りました。
これより北では水稲は世界的に見ても実施されていません。遠別町は日本最北の米どころとされています。碑は水稲発祥を意味するだけでなく、世界的にここが最北の水田である事も意味しています。
遠別町で作られる米は「はくちょう」です。こちらの米を利用して旭川の高砂酒造によって純米酒が作られ「北吹雪」という銘柄になります。