水田発祥の地は苫前の町から国道232号線を3kmほど南に走った国道239号線との交差点近くの古丹別川を渡る苫前橋の北側に石碑があります。
1850年に道南の大野平野で水田に成功して以来この苫前でも水田が試みられましたが、道南よりも遥かに気候の厳しい道北のこの地で水田は成功しませんでした。
1822年に盛岡市で生まれた藤田万助は36歳の時に漁役夫として北海道に渡り苫前町古丹別の地で麦・豆・野菜など栽培しました。その後、1881年から水田を開き水稲栽培を試みましたが、当時の北海道は石狩地方でさえ試験的に水田が行われているだけの状態であり、彼の試みはうまくいきませんでした。
それでも寒冷の荒野の中で手作業で水田を作り、1884年にとうとう稲作に成功します。道北地方でも米を作れることを証明し、苫前地方の農業の先駆者として大きな功績を残した経緯があります。
偉業を成し遂げた開拓者、藤田万助翁の功績をたたえ、彼の死から13年後に苫前町古丹別に水田発祥の地碑を建てました。