後に新選組となる近藤勇らの初めての屯所です。
この八木邸を屯所とした彼らは、会津藩から新選組の名を拝命するまでの間、地名にちなんで壬生浪士組と名乗っています。新選組として世に名を馳せるまで、近隣の人々からは「壬生に住む狼」=「みぶろう」と呼ばれていたこともあります。
八木家は壬生の郷士であり槍などの武器揃っていたため、隊士たちが勝手に持ち出していたこともあったそうです。
また、会津藩お預かりになった近藤たちに会津藩主・松平容保から、酒が入ると困り者の新選組筆頭局長・芹沢鴨を暗殺せよとの密命が下ります。
そして、その暗殺はここ八木邸で決行されることとなります。その暗殺の際についた刀傷が今なお残っています。