恵心院は春や秋の季節には境内に植えられた数多くの花が咲き「花の寺」としても知られています。
822年の創建当時は「龍泉寺」とよばれていましたが、1005年に「往生要集」の著者である比叡山横川(よかわ)の恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)によって再興され、「朝日山恵心院」と改名されました。
この恵心僧都は宇治十帖の中でヒロイン浮舟を助け、新たな道を歩ませることとなった「横川の僧都」のモデルと言われています。
江戸時代には春日局(かすがのつぼね)が幼君竹千代、後の三代将軍家光のために祈願をした寺で、将軍家、宇治茶師からの後援を受けました。
現在は本堂と表門のみが残り、本堂には平安時代の木造十一面観音立像が安置されています。