原子爆弾落下中心地碑は、昭和20年(1945年)8月9日、午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500mで爆発した長崎に投下された原子爆弾の爆心地に建てられました。
原子爆弾の爆発点の温度は摂氏数百万度、爆発から1万分の1秒後の火球は約30万度、爆発1秒後の火球は半径240m、爆発直後の爆心地の地表温度は約3,000~4,000度と推定されています。
昭和20年、原子爆弾災害調査団が標柱(アスベスト柱)を建立、何度か建替えられた後、昭和43年3月に三角柱の表面の張り石が黒御影石へ張替えられ現在の碑となっています。
中心碑のふもとには原爆死没者の名前を納めた原爆殉難者名奉安があります。