7世紀後半、朝鮮半島と中国の唐・新羅の連合軍との戦で敗戦した百済の復興のため、援軍を送ることを決断した日本は、663年のお白村江(はくすきのえ)の戦で大敗します。このため、唐と新羅の連合軍との間で緊迫した情勢が生まれ、天智天皇によって大宰府防衛施設の建造が急がれました。こうして665年に基肄城が築かれました。百済高官の指導によって築かれた朝鮮式山城は、日本最古の山城といわれています。現在、佐賀県三養基郡基山町から福岡県筑紫野市にかけて城跡が残っています。標高404mの基山を中心に、尾根伝いに総延長約4kmの範囲に、基肄城跡があります。史跡巡りやハイキング、山頂西側では、天然の草スキー場があり、春、秋シーズンを楽しめます。