たび重なる火災で焼失・再建を繰り返し、明治7(1874)年、江藤新平の起こした「佐賀の役」によって、一部の建物が破壊されますが、残った建物も年を経る毎に随時解体され、今では、本丸の門である鯱の門と続櫓と石垣を残すのみとなっています。
鯱の門壁は白壁で、棟の両端には名前の由来である青銅製の鯱が置かれています。
鯱の門と続櫓は国の重要文化財に指定されています。
どっしりと構えた門や扉には「佐賀の役」の弾痕が残り、当時の闘いの凄まじさを物語っています。
佐賀城跡では、これまでに開発に伴う確認調査が20件以上実施されていることから、
石垣や堀などの曲輪を区画する遺構や通路跡が確認されています。また、本丸については、平成5・6年度の佐賀市教育委員会、平成11~15年度の県教育委員会の調査により、建物礎石の他、多くの遺構が発見されています。
現在、城跡をとりまくお壕一帯は県立佐賀城公園になっていて、壕には水鳥や鯉が泳ぎ、大小の噴水や芝生の広場が整備され、桜やツツジ、お壕の蓮などが季節の彩りを添える絶好の散策コースです。
また、壕端には樹齢300年を超えると推定される大楠が並び、これらは県の天然記念物に指定されています。